長唄協会 夏季定期演奏会終わる




長唄協会夏季定期演奏会に出演して

 三月末のことです。かをる先生から「長唄協会の舞台に出るのでタテ唄をつとめてほしい」という、驚天動地とも言うべきお電話をいただきました。正直なところ頭の中は!と?で一杯の状態、「何で私が?」と思いましたが、これもまた大震災の影響なのでしょうと、図々しくも勉強させていただくことにしました。奇しくもその日は私の誕生日だったので、「これはすごい誕生祝いをいただいちゃった」なんて甘い考えもありました(のちのち己の甘さが身に染みて感じられたものですが)。
 演し物は『花の友』。短い曲なので節は比較的すぐに入りました。しかしです。きれいで平易そうな曲に見えて、その実きれいに聞こえるには大変難しい曲であることがすぐにわかりました。弥佑師からは、隅田川の大きさが全然伝わってこない、当時の情景とはずいぶん違っているだろうけれども、実際に作品の舞台を自分の目で見てくることも大切だとアドバイスをいただきました。
 そこで浅草から隅田川のほとりを一人で散策してみました。桜の季節はもう終わっていましたが、なるほど川の両側一面に桜が咲く中を親しい人と連れ立って歩けば、さぞや浮き浮きするだろうと思いました。足元の植込みには私の大好きな鳥、雀が何羽もいて、草の実を啄んだり、砂浴びをしたり、親鳥に餌をねだる巣立ち雛も現れて、一人で歩いても自然と笑みが浮かびます。川には水上バスが行き交いますが、あんなに大勢の乗客を乗せた大きな船も実に小さく見えるのです。本当に大きな川だなあと改めて思い、歌詞の中で小舟を「流れに浮かむ一葉」と表現しているのも実感としてよくわかりました。待乳山の聖天様に行ってみると、当時はここがこの界隈で一番小高い丘だったとあり、見晴らしの良い景勝の地であった由、往事の人がスカイツリーに上ったならば何と言うだろうかと思いました。
 演奏会当日はひどい強風でした。私の住む千葉は都心より更に風がひどく、こういう日は決まって電車のダイヤが乱れるのですが、案の定、この日も思い通りに電車が動かず焦りました。けれどもそんな強風が緊張も吹き飛ばしてくれたようです。幕が上がって一声出してみたら至って普段通りに声が出たので安心しました。かをる先生がとにかく回数を積まなければとおっしゃって、毎週合わせて下さったので、安心して稽古でやってきたことが出せたのだと思います。また唄いながら実際に散策した隅田川の情景が浮かんできました。花を愛でたり、お茶や香を楽しむ作曲者の気持ちを自然と追うような感じで、意外にも楽しみながら曲を進めていくことができ、これもアドバイスを下さった弥佑師に感謝です。
 私は結婚後に千葉に越してきて、そこで通ったカルチャー教室で亡き弥江道師にご縁を頂き、お名取に取立てていただきました。先生がお元気な頃はよくかをる先生と組んで舞台に出ていらして、その舞台を私は客席で「すてきだなあ」とただただ憧れて見ていたのに、今日は先生が座っていらした場所に自分が座り、そしてその恩師の愛娘でいらっしゃる弥容之さんと並んでいる。感無量でした。病身をおして名取式に来て下さった弥江道師が、初めて黒の校服を着た私を見て「立派なお師匠さんのようね」と喜んで下さいましたが、今回のこの舞台を見たらどんなに喜んで下さったことか。師亡きあと、頂戴したものばかりで一つもご恩返しができていないと思いながらやってきましたが、ようやく小さなお返しをすることができたような気がいたします。
 大変なチャンスを与えて下さった家元先生、ありがとうございました。そして応援下さった方々にも深く感謝を申し上げます。自分の出番が終わり、客席に回って他の方々の演奏を聴いて、「やっぱり長唄っていいな」と改めて感じました。大震災後、こんな時に音楽なんてという声も少なからず聞かれましたが、やはりこんな時こそ音楽です。音楽は人を元気づけ、力を与えてくれます。私はこの「長唄っていいな」という素直な気持ちをずっと大切にしていきたいし、一人でも多くの方にその思いを伝えていきたい。そのために、今回の貴重な体験をもとに、これから精進を重ねていきたいと思っております。

本部 弥江宏

平成23年7月5日 国立劇場小劇場楽屋にて




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