初演
文政元年(1818)11月玉川座
『四天王産湯玉川(してんのううぶゆのたまがわ)』一番目三立目
① 日吉小三八氏所蔵
(1)半紙本1冊
(2)全二丁(表紙〇・五丁、本文一・五丁)
(3)八行
(4)四天王産湯玉川(してんわううぶゆのたまがわ)》第一番目三立目/玉川座/文車牛(ふみぐるまうし)のい文字(つのもじ)
(5)文車牛(ふみぐるまうし)のい文字(つのもじ)
(6)「壱」「弐」
(7)板元/ふきや丁/山本重五郎
(8)このぬしうたぞう
(9)小式部の内侍 松本よね三 岩城の藤太鬼虎 松本虎蔵 橋立三郎成春 沢村源之助
(10)長唄 芳村孝次郎 芳村源太郎 松永兼五郎 芳村小十郎 芳村冨三郎 芳村伊久太郎 冨士田千平 三味線 杵屋六三郎 杵屋作十郎 鳥羽屋三五郎 杵屋金次郎 杵屋半次郎 杵屋六蔵 杵屋六十郎 ふへ 住田彦太郎 ふへ 住田彦吉 小つゞみ 田中佐十郎 小つゞみ 吉岡七五郎 大つゞみ 西川源蔵 大つゞみ 吉岡権次郎 大こ 望月太左衛門 大こ 望月太八 大こ 坂田重三郎 三みせん 杵屋伊右衛門 三みせん 杵屋善太郎 三みせん 杵屋源三郎 大コ 吉岡庄吉 うた 冨士田千十郎 うた 芳村孝十郎 大コ 坂田重兵衛 大コ 小西権兵衛 長うた 芳村伊三郎
(11)豊久画
〈備考〉
「狂言作者 鶴屋南北」「ふり付 市山七十郎」(表紙)
〈考察〉
市村座の控櫓、都座は、この年度から玉川座に変った。
『四天王産湯玉川』の台本は東大国文研究室所蔵本が『鶴屋南北全集』第七巻に翻刻されている。本曲は、そのうち、第一番目三建目北野神社の神事で、季武の弟の橋立三郎成春と保昌の娘の小式部の内侍が踊る場面に演奏された。成春の恵比寿、小式部の弁天、鬼秀らの鬼など二十五座の里神楽を題材にした今様舞踊。
成春を勤めた2代目沢村源之助(1802~53)はこの時17歳。曲名のうち「い」は源之助の紋。源之助について、台本には「着流しの上へ狩衣を引かけ、ゑびすの面を首へかけ」とあるが、正本の表紙絵に狩衣や恵比寿の面は見当たらない。しかし、台本にある通り、鯛を釣竿へ付けたものを持っている。小式部を勤めた2代目松本米三(1796~1820)はこの時23歳。台本に「広振着流しの上へ千早を引かけ」とあるが、千早は見当たらない。ただし、台本の通り、玉とかぎを持ち、弁天の姿。頭には天冠を被っている。
2人の「ながめじゃなア」のセリフの後、台本に歌詞の記載はないが、「これより所作のかゝりにて」とあるので、二上り〽神楽月」以下の演奏が始まったか。小式部が成春に短冊を渡すセリフの後、〽祈る誓い」以下のクドキになったのだろう。ここはタテ唄の芳村孝次郎、ワキ唄の芳村源太郎、三枚目の松永兼五郎の分け口。そこに、岩城の藤太鬼虎が登場。ただし、台本に「鬼の面をもち、片手に花の枝を持出てくる」とあるが、正本表紙では鬼の面は持っていない。また、正本では紙垂をつけた榊の枝を持つ。台本では樋爪の五郎鬼秀も登場するが、正本には記載されていない。〽胸のほむらの鬼ころし」以下で鬼虎が登場したか。〽水にうきね」以下は踊り地。〽神風や」以下はチラシ。チラシの冒頭〽神風や/\伊勢の御神かけまくも」は、台本では因幡の局のセリフとなっている。このチラシで局が鬼を追い廻すと、成春と小式部が豆を打って所作が納まったようだ。ただし、因幡の局も正本には記載がない。実際には台本と異なる演出もあったのだろう。正本表紙の3人の衣装には、それぞれ、源之助に関わる釻菊・観世水、米三の※印、虎蔵の卍クズシが模様として描かれている。
文車牛(ふみぐるまうし)のい文字(つのもじ)
二上り〽神楽月 合 さすてひくてもくもの袖 合 風にひらめくおみ衣 小づまもしやんとふきとぢよ 合 もみぢのてり葉いろそへて よるをひるこにはれ渡る そらやうつろふ竹生嶋 こゝに宮ゐの女の神 クドキ 孝次〽いのるちかひのかいもなく うたのてに葉のすてがなに のばすはにくいゆがみ文字 薄きゑにしはきくさへつらく ふたりそひねの(一丁ウ)ひよくのまくら 源〽まくらことばもどこへやら 合 おとこごゝろはなんのその うそいふふでの一トくだり 兼〽のちにあいづをゆふぐれと かくさへにくいかなちがひ 〽むねのほむらの鬼ころし 下戸も上戸もつのづき合 はらたちがほに 合 つゝぱりかへつた きいちもつ ひとりはしぐるゝそらなみだ 合 そりやきこへぬぞへどふよくと せりあふなかをおしわけて わらひ上戸の(二丁オ)うかれぶし ヲドリ〽水にうきねのおしのふすまをのぞひて見れば 合 かたしく羽そでのもしあだじはか いゝやさゞなみよせくるかげよの 合 ほんにそふかいな ぱつとおじてやそらにたつ 〽かみかぜや/\ いせの御神かけまくも しめはる岩に日のひかり うけてきらめく二タ見がた よせくる波の花やかに こなたも梅の早咲は 合 入りくる春のかほりめでたき