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《めりやす 身(み)がわり》

初演
文政元年(1818)11月玉川座
『四天王産湯玉川(してんのううぶゆのたまがわ)』二番目大詰

① 早稲田大学演劇博物館安田文庫所蔵 イ11‐1212‐42
(1)半紙本1冊
(2)全一・五丁(表紙〇・五丁、本文一丁)
(3)六行
(4)四天王産湯玉川(してんわううぶゆのたまがわ)/第二番目大詰/玉川座/めりやす 身(み)がわり
(5)身かわり
(7)板元/ふきや町/山本重五郎
(9)物部平太有風 市川宗三郎 伊賀寿太郎成信 松本幸四郎 奥女中袖崎 瀬川菊之丞 美女御ぜん 山科甚吉
(10)長唄 芳村伊三郎 三弦 杵屋六三郎 杵屋作十郎 鳥羽屋三五郎 
〈備考〉
「狂言作者 鶴屋南北」(表紙)

〈考察〉 
 本曲は二上りのめりやす。第二番目大切「しばらくの場」で、純友の残党、栗の木又治実は伊賀寿太郎は、物部平太有風と謀って、市川玉柏実は、源家の公達、美女御ぜん(美女丸)を殺そうとするが、奥女中袖崎実は伊賀寿の娘、玉琴は美女丸に恋して身替りとなる。その場面に、独吟で演奏された。台本に歌詞の記載はないが、正本表紙に描かれた屏風を引き廻すと〽夢心」の独吟にかかり、又治が舞台へやって来る。〽かげすごく」の次の合の手で又治と有風のセリフ。〽うつる屏風が」で袖崎は屏風の内へ入り、〽浪ににしきの」以下の上ゲで一段落したか。この後、袖崎は玉柏の身替りとなって殺される。
 この時、5代目松本幸四郎(1764~1838)は55歳、4代目市川宗三郎(1766~1835)は53歳、5代目瀬川菊之丞(1802~32)は17歳、3代目山科甚吉(1791~1850、後、4代目小佐川常世)は28歳であった。 

 身かわり
二上り〽ゆめごゝろ ひらきそめけんむろの梅 ふかきいろかの恋のやみ しのべばしのぶ木がくれに 月のこほりのかげすごく 合 〽うつるびやうぶ(一丁オ)がうらもやう 合 しぐれてかゝる雲のおび むすぶゑにしを嵐にあてゝ うごくとみゆる松島や 合 浪ににしきの吹寄て 木の葉ごろものうきをりも つゝむがはなのいまのおもひは